経歴
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4月8日、堺市北区の金岡病院で生まれる
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堺市立新金岡小学校(北区)入学
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堺市立錦西小学校(堺区)卒業
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堺市立月州中学校(堺区)卒業
水泳部主将、応援団長 -
大阪府立三国丘高等学校(堺区)卒業
柔道部所属、生徒会活動 -
明治大学法学部 卒業
雄弁部所属、カンボジアなどで国際ボランティア活動 -
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関西テレビ放送
営業企画部、報道部記者として勤める -
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堺市議会議員に28歳で初当選(1期)
行財政改革特別委員会副委員長
総務・市民環境経済・建設・厚生各常任委員 -
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大阪府議会議員に当選(1期)
会派「主権おおさか」副幹事長
総務、商工労働、教育文化各常任委員 -
堺市長選挙に出馬するも落選 (55028票)
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羽衣国際大学(堺市西区)客員助教授・非常勤講師
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民主党大阪府第16区(堺市堺区・北区・東区)総支部長
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衆議院議員に当選(1期目)
内閣委員、経済産業委員、安全保障委員、災害対策特委理事、青少年問題に関する特別委員 等歴任 -
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民進党大阪府第16区(堺市堺区・北区・東区)総支部長
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立憲民主党大阪府第16区(堺市堺区・北区・東区)総支部長
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衆議院議員に当選(2期目)
倫理選挙特委理事、内閣委員、国土交通委員、消費者問題特別委員、外務委員 等歴任
党大阪府連代表、副幹事長、政治改革部会長、災害・対策緊急事態局長代行、国会対策副委員長、選挙対策副委員長、企業・団体交流副委員長 等歴任 -
衆議院議員に当選(3期目)
内閣委理事、文部科学委理事、国家基本政策委理事、予算委員、倫理選挙特別委員、災害対策特別委員 等歴任
党大阪府連代表、副幹事長、災害・緊急事態局長、国会対策副委員長 等歴任
自己紹介
衆議院議員
森山 ひろゆき
Hiroyuki Moriyama
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身長・胸囲身長 約175センチ、胸囲 110センチ
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座右の銘有言実行
和而不同(和して同ぜず) -
趣味読書・映画鑑賞・人と会うこと
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尊敬する人尾崎行雄(憲政の神様。三女の相馬雪香さんには直接ご指導頂きました。)
三木武夫(大学の先輩)
野口英世 -
家族構成妻・長男・次男
まんが
「森山ひろゆき物語」
「森山ひろゆき物語」
ライフストーリー
誕生から
サラリーマンの父、専業主婦の母の長男として堺市東三国ヶ丘町の金岡病院で誕生。
1歳下の妹と2人兄妹。
父の転勤で幼時は高松市・広島市にも住んだことあり。
第2次ベビーブーム世代の昭和46年に生まれた森山は4300グラムの超巨大児。金岡病院では新記録でその後もタイトルは長くつづいたとか。
生後8ヶ月で熱湯をかぶって大火傷を負い、生還したものの、血をみるのが苦手で野口英世博士のように医師になろうとはおもわず。
幼稚園時代は「囲い込まれる」ことに反発、脱走の常習犯だったとのこと。
小学校時代
堺市立新金岡小学校・錦西小学校出身
小学校入学のタイミングで、自分も生まれ、両親の出身地でもある堺市にかえる。
新金岡1丁7番に1年余り住む。
1年担任は寺内先生、2年担任は浜崎先生。
2年生の6月に七道西町のサニーハイツ3棟に転居、祖父の出身校、錦西小学校に転校。
担任は古殿先生、前田先生。
中学校時代
堺市立月州中学校(水泳部)卒
中学校ではカラダを鍛えようと水泳部(顧問は上野先生、村君先生)に入部。
毎日窓ガラスが割れるような元気(?)な学校で、心身ともに鍛えられる。(ちなみに大相撲の「泉州山」関の兄は同級生)
水泳部では主将をつとめ、大阪府大会にも出場。
弁論大会、応援団長などさまざまな経験をする。
担任は茶谷先生、上野先生。
伝統ある「旧:堺第一中学校」であり、先輩方にはいまでもお世話になっている。
このころは社会正義のために法を守る弁護士になりたかった。
高校時代
大阪府立三国丘高等学校(柔道部・生徒会)卒
徒歩20分の中学から自転車で10分の高校へ。
公立最大の16クラス780人が入学(42回生)。
自由な気風の伝統校で2年生で生徒会長。
役員を任命する「大統領制」で、やりがいあり。
柔道部(顧問:芦田先生)では経験者に混じって練習、黒帯を取得(初段:2段の型合格)。
大学時代
明治大学(法学部・雄弁部)卒
「大学は東京に行こう」ときめ、総理大臣を輩出した大学のみを受験、代々木ゼミナールで一浪の末、明治大学法学部法律学科に入学。
大学に近い世田谷区北沢で風呂なし・トイレ共同の「良忠荘」に月2万2千円で下宿(現在は取り壊されている)。
三木武夫首相らを輩出した雄弁部に所属、議論と各界の「エライ人」との面談に明け暮れる。
「全国遊説」「模擬選挙」などで社会への訴えを中心に活動、全関東学生雄弁連盟委員長、全日本学生弁論交流会長を歴任。
ゼミは国際経済法の間宮勇ゼミで初代ゼミ長。 先生がWTOの研究で欧州留学のため、後輩の募集なし。
「平成」は寒稽古中の道場でむかえる。
このころ、漠然と法をつくる政治家になろうと考えていた。
▼カンボジア(’91~)・旧ユーゴスラビア・ロシア・阪神大震災などでボランティア活動~
漠然と「日本社会の恩恵を受けるだけの私たちの世代は何か世界に返すべきだ」と思っていた森山にとって湾岸戦争後、国際ボランティアで「汗を流す日本人を見てもらおう」というNGOとの出会いは心にぴったりくるものだった。
それまでのNGOが「非政府」というより「反政府色」が強すぎ、日本社会から遊離している状況を根本的に変えるべきだという確信を得た。
また、卒業直前の阪神大震災の長田区のボランティア現場では日本におけるボランティアやNGOの変化の胎動の手応えを感じた。妻とは旧ユーゴスラビアの難民キャンプの活動で出会う。
記者時代
▼関西テレビ報道部記者(’96~’98)(堺・神戸・NPO・警察など担当)
「ボランティアの現場に出る人は存在する。自分は日本の社会で前線と後方をつないで日本をボランティア社会にしたい」
震災直後に入社した関西テレビでは新設の「営業企画部」に配属。
朝のワイドショー「痛快!エブリデイ」のプレゼントコーナーや新商品紹介の「タージンの元気印見つけた!」「満たして!好奇心」などのミニ枠、KTV試写会などを担当。
常に「報道希望」と上司にアピール、翌年夏の異動で報道部記者に。
いきなりO-157集団感染にぶつかり、「地方政府の対応で人の命が左右される」ことを実感。
当初からの目標どおり、NPOの後押しをする企画をしながら神戸支局へ。
須磨ニュータウン酒鬼薔薇事件がある。
震災3年の仮設住宅のドキュメンタリーのディレクターをつとめる。
98年春、結婚。
98年夏、大阪府警察捜査二課・四課担当となる。
98年秋、退職。
政治家に
▼堺市議会議員(’99~)
1期・完全無所属 ・総務・市民環境経済・建設・厚生各常任委員
行財政改革特別委員(副委員長)等歴任
「情報公開・市民参画」を武器に「前向きな改革提案」を基本に活動。
「まちづくりは人づくり」NPOやボランティアとのネットワークを大切に
市民全体のために働く。
▼大阪府議会議員(’03~’05) <18317票・8位当選>
1期・無所属(会派:「さわやか大阪」「主権おおさか」)
総務、商工労働、教育文化各常任委員
▼堺市長選挙(05年10月) <55028票・落選>
マニフェストを掲げて無所属で挑戦、惜敗。「無所属浪人」で活動継続、07年10月民主党衆議院議員予定候補となる。
衆議院議員に
▼国会での活動
2009年衆議院議員総選挙で初当選。
議院運営委員、経済産業委員、内閣委員、安全保障委員、災害対策特別委員会理事・委員、海賊テロ対策特別委員、消費者特別委員、青少年特別委員、拉致問題特別委員 等歴任
党本部青年委員会事務局長、党府連国会議員団事務局長、超党派水制度改革議連事務局長、旧公団居住安定化推進議連事務局長、都市まちづくり議連事務局長、危機管理都市議連事務局次長、焼肉議連事務局次長、IC議連事務局長、日・カタール友好議連事務局長、日・スロバキア議連事務局長、日グルジア議連事務局次長、日シンガポール議連幹事、日・カンボジア議連幹事 等歴任
2012年・2014年衆議院議員総選挙で惜敗。
2017年衆議院議員総選挙で当選(2期)。
2021年衆議院議員総選挙で当選(3期)。
【衆議院】内閣委員会理事、文部科学委員会理事、国家基本政策委員会理事、倫理選挙特別委員会理事、外務委員、国土交通委員、予算委員、消費者問題特別委員、災害対策特別委員 等歴任
【党務】党大阪府連代表、副幹事長、災害・緊急事態局長、国会対策副委員長、選挙対策副委員長、企業・団体交流副委員長 等歴任
【議員連盟】国際IC(MRA)推進議員連盟事務局長、住宅政策推進議員連盟幹事、世界連邦日本国会委員会常任理事、タクシー政策議員連盟幹事長代行、日本・アゼルバイジャン友好議員連盟幹事、日本・台湾議員懇談会幹事、超党派水制度改革議員連盟事務局次長、ユニセフ議員連盟副幹事長、立憲民主党仏教議員連盟幹事長代理、立憲民主党「UR住宅居住者を支援する議員連盟」幹事、地方自治における公共交通のあり方を考える議員懇談会副会長 等