【追悼】阪神淡路大震災から24年

【阪神淡路大震災から24年】

1995.1.17。
阪神淡路大震災から二度目の「亥年」。
亥年の私も、4回目の年男。
▼当日、学生時代の私は東京の下宿。「うちは、大丈夫やから!」と堺の母の電話で起こされました。寝ぼけ眼で「うん、わかった」と応えたものの、実態が報じられるころには東京からの電話はつながらず。その被害に、茫然。
▼卒業試験を終えて現場に立ったのは2週間後。神戸大に通う高校の同級生が用意してくれたドラム缶で露天風呂を沸かすなど、カンボジア学校建設の仲間と一緒に長田区役所前でボランティア活動。
▼95年春、関西テレビに入社。営業局での研修中は週末被災地に。翌年、報道部記者に。事件事故取材の合間に被災地ボランティアの企画取材。
▼97年、神戸支局記者に。日常取材のかたわら翌年1月17日「震災三年ドキュメンタリー」のディレクターとして仮設の生活と復興住宅への移行をテーマに仮設住宅の取材。
▼99年春、堺市議会議員当選。その後府議会、衆議院と続く政治活動・議員活動の中で国内外で頻発するたくさんの震災や風水害。危機管理や防災。被害、被災、緊急対応、復旧復興。東日本大震災では与党議員として茨城県やボランティアを担当。
▼昨秋からは新設の「立憲民主党災害事故等対策副局長」に。ボランティアとして、記者として、政治家として、現場に臨んできた経験を胸に、あらゆる人の営みの根底に「安全」があるとの信念で多くの方の命を、涙を、汗を、おもいを、無にしない政治を。
▼その想いを忘れない。この日は毎年、現場かテレビ画面で黙祷を捧げています。
あらためて、震災で命をなくされた皆様に黙祷。